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『王太后への書簡』(1566年) 王太后(国王の母后)、すなわちカトリーヌ・ド・メディシスに捧げられた1565年12月22日付の書簡。占星術師先物取引 の立場からカトリーヌに助言を行うものとなっている。内容はわずか3ページであり、分量的には暦書類で有力者たちに捧げられていた献呈文と大差がない。 『プロヴァンスにおける宗教戦争初期の歴史』(執筆時期未詳) 現存しない草稿。シャヴィニーが言及しているほか[42]、ノストラダムス自身が私信の中でその要約版の手稿について言及している[43]。 [編集] 学術的な検証 ノストラダムスを大予言者と位置づける立場からの「ノストラダムス現象」の広まりに比べて、歴史学、文学、書誌学といった領域からの研究は長い間非常に限定的なものでしかなかった。しかし、20世紀半ば以降、主として英語文献と仏語文献では、専門的な研究も着実に蓄積されてきている[44]。 投資信託 グラヌムの死者記念塔。ノストラダムスの詩にも何度か登場する。ノストラダムス本人や先祖の伝記については、20世紀半ばにエドガール・ルロワやウジェーヌ・レーが古記録を丹念に調査し、実証度を飛躍的に高めた[45]。この結果、伝説的な要素はかなりの程度排除できるようになった。レーはノストラダムスの往復書簡についても抄録の形ながら紹介を行い、この面でも実証的な伝記の形成に貢献した[46]。また、ルロワも古文書での実証だけでなく、地元サン=レミの精神科医という利点を活かし、ノストラダムスの詩篇には、幼年期の記憶、すなわちサン=レミの景色や近隣のグラヌムの遺跡と一致するモチーフが存在することを初めて指摘した。 書誌研究の分野では、ミシェル・ショマラとロベール・ブナズラが、1989年と1990年に相次いで記念碑的な書誌研究を発表している[47]。前者の研究対象は18世紀までの文献ではあるが、フランス語文献に留まらず英語、イタリア語、ドイツ語、オランダ語などの文献も幅広く網羅した労作である。後者の研究は基本的にフランス語文献に限定されたものであるが、対象時期は1989年までと幅広く、また重要な文献については詳細な分析を付加している点にも意義がある。 『予言集』の原文校訂および分析に関しては、多少粗い形とはいえ包括的な分析を行ったエドガー・レオニの先駆的研究(1961年)[48]のほか、『予言集』初版収録分を主たる対象とするものであるが、ピエール・ブランダムール(1993年、1996年)、アンナ・カールステット(2005年)などの研究がある[49]。ブランダムールは、予言詩のモチーフに、ルーサや『ミラビリス・リベル』といった同時代の予言的言説や様々な西洋古典からの借用が含まれていることを指摘したほか、同時代の事件や風聞に題材を採ったと思われる詩があることを示すなど[50]、16世紀フランス史の文脈から手堅い研究を展開した(後述)。他方、カールステットは、モチーフの分析もさることながら、モーリス・セーヴら同時代の詩人との文体の比較を丁寧に行うことで、内容分析に比べて十分な蓄積がなされてこなかった文体論研究の分野にも貢献している。 [編集] 予言の典拠 ここでは、彼が『予言集』、暦書類、顧客への私信などで予言を行う際に、何に基づいていたのかを、現在までの研究で明らかになっている範囲で扱う。なお、暦書類や私信よりも『予言集』の方が研究の蓄積が大きいため、例示は『予言集』のものが多くなる。この点については有名な予言詩の例も参照のこと。 [編集] 占星術について ノストラダムスは、『予言集』や暦書類での予言の基礎を、判断占星術(Astrologie judiciaire, 予期される未来の発展の「質」の占星術的な評価)に置いている、と主張していた[51]。 しかし、彼の占星術は、ローラン・ヴィデルのような同時代の占星術師からは、彼の星位図作成上の問題(後述)や、過去の星位と未来のそれを比較することで未来を予言しうると仮定していることなどを、強く批判された。 FX また、彼の占星術のオリジナリティには疑問が呈されている。少なくとも、リシャール・ルーサの『諸時代の状態と変転の書』(1550年)が主要な参照元であったことは確実である。これは、同書からほとんどそのまま引用している箇所が少なくないことからも明らかである。さらに、彼が顧客向けに手ずから作成したホロスコープ(出生星位図)にしても、既に公刊されていた他の占星術師の星位図を下敷きにしたものであり、自身で星位の計算を行っていたわけではないようである。このため、オリジナルからの誤写も指摘されている。 なお、文献の性質上、暦書については星位やその影響に関する叙述が多いものの、『予言集』では、占星術的な言及はそれほど多くない。「第二序文」では相対的に記述量が多いが、「第一序文」では12回、940篇以上の四行詩から成る「百詩篇集」自体でも41回言及されているに過ぎない。 [編集] 歴史関連の参考文献 実証的な研究の蓄積は、『予言集』や暦書類といった彼の予言作品が、古代の終末論的預言(主たる基盤は聖書)を敷衍したものであると示唆している。彼は、これに、前兆に関する記録や過去の歴史的事件などを加味した上で、星位の比較も一助として、未来を投影したのである。 例えば、彼の予言には「空での戦闘」や「太陽が2つ現れる」といった記述がある。信奉者は、それらを現代ないし近未来の戦争や核爆発の描写と解釈するが、こうした現象は、当時の「驚異」(prodige) としてはありふれた言説であった(当時の人々がそれらをありうる、または実際に見聞したと認識していたことと、実際にそれらが起こったかは当然別問題である)。当時の人々はそうした「驚異」を何らかの変事の前兆と捉えていたのであり、ノストラダムスの予言には、当時の風聞やユリウス・オブセクエンスの『驚異の書』に基づく形で、そうした「驚異」が多く反映されている。 また、彼の予言に反映されている歴史的題材の分かりやすい例としては、スッラ、マリウス、ネロ、ハンニバルといった古代の人名が織り込まれている詩や散文の存在を挙げることができる。こうした歴史関係の叙述にあたっては、ティトゥス・リウィウス、スエトニウス、プルタルコスら古代の歴史家たち、及びヴィルアルドゥアンやフロワサールら中世の年代記作家たちの作品が参照されている。このことは、それらからの引用句を容易に同定できることから明らかである。 日経225 [編集] 予言関連の参考文献 ノストラダムスの予言は、独自に組み上げられたものだけではなく、先行する予言関連の著書からの借用も含まれていることが指摘されている。そうした彼の予言的な参考文献の中で最も重要なものは、疑いなく『ミラビリス・リベル』(1522年に出された編者不明の予言集)である。同書にはジロラモ・サヴォナローラの『天啓大要』の抜粋が含まれており、『予言集』第一序文には、そこからの引用が少なくない。[52] 『ミラビリス・リベル』は1520年代に6版を重ねたが、その影響は持続しなかった。一因としては、ラテン語で書かれた第一部の分量が多く、かつ読み辛い古書体で印刷されていたことや、難解な省略が多かったことなどが挙げられる。ノストラダムスは、この書を最初にフランス語で敷衍した一人と言える[53]。 さらに異なる引用元として、クリニトゥスの『栄えある学識について』を挙げることができる。ここには、ミカエル・プセルロスの『悪魔論』や、4世紀の新プラトン主義者ヤンブリコスがカルデアやアッシリアの魔術について纏めた『エジプト秘儀論』からの抜粋を含んでいる。「百詩篇集」の最初の2篇は、それらの翻案である[54]。 なお、彼の引用や借用については、当時と現在とで著作権の概念が異なる点に留意する必要がある。当時は謝辞や断り書きなしに、他の著者の作品からの借用を行うことは珍しくなかったのである。 [編集] 他の参考文献 ノストラダムスは、第一序文で、自身の神秘学系の蔵書を焼却したと語っている。これが事実だとしても、火にくべられた書物が何であったかは特定されていない。とはいえ、彼の蔵書の追跡調査も、1980年代以降行われており、その結果、彼の蔵書には、スコットランドの神学者ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス、イスラム世界の占星術師アルカビティウス、パドヴァ大学の医学者コンファロニエリらの著書や、トマス・モアの『ユートピア』が含まれていたことが明らかになっている。[55] 外為 こうした出典の研究が進んだことで、かつて言われていたように、ノストラダムスが予言の際に何らかの魔術的な儀式を行ったり、トランス状態に陥ったりしたかどうかは疑問視されている。「百詩篇集」の最初の2篇には儀式的なことが書かれているが、既に見たように、これは他の文献からの翻案であり、本人の行動と一致するとは限らない。また、顧客向けの私信に儀式を行ったように書いているものもあるが、神秘化の一環として誇張している可能性もある。 |
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